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YKK滑川寮

東練を中庭側より見る。各住戸の入口にはインドネシア産の木製簾が架けられている。奥の山並みは立山連峰。*1

上空より俯瞰する。このYKK滑川寮は、国道バイパス沿いの田園地帯にたつRC3階建の150室をもつ男子独身寮である。開放的なランドスケープの中にあるため、この建物は中庭型を取るものの、4隅は開放的な扱いをしている。各室には空冷ヒートポンプが設置されているが、中庭側の主開口と反対側に小さな開口を設け、さらに、ベッドのレベル、ユニットバスのなかにも小さな開口を設け、自然換気と通風も十分得られる。通路側の掃出し窓の前には木製の簾を下げ、視線と日射を防いでいる。同様に、食堂の大ガラス面にも開閉部分を十分設定するだけでなく、その前に森(選定せず育てる)を作っている。
設備の配管類は原則的には、オープンな設備シャフトに収納されている。例えば、各室の縦管は給排水系は廊下の反対側の凹みに収められ、電気系は簾の脇の隔壁の間に収められている。
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配置図

航空写真。*航空写真:YKK提供

4つの棟に囲まれた中庭。中央の円形の部分には森と食堂が設けられており、周囲のコンクリート舗装の中庭とは板城によって仕切られている。*1
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南北断面図
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立面図
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1階平面図
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2階平面図
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3階平面図

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北側全景。西棟下部のピロティに設けられたスロープがメインアプローチになっている。*1

東棟外観。1.2端は個室。3階は浴室やテラスなどの共有部分になっている。*1
1層分傾斜した西棟。*1

食堂。内部のレベル差が空間に変化を与えている。*1

食堂より森を見る。*1
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一般寮室内部。奥の床レベルが上がった部分にユニットバスと床下収納が設けられている。*2
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一般療室より中庭方向を見る。天井高は3.2mでロフト型ベッドが採用されている。*3
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中庭側に設けられた通路を見る。*3
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断面詳細図

YKK市川寮の模型
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YKK滑川寮の外部廊下
図式とリアリズム
この二つの建物は共に企業の独身寮であるが、その寮の設計、計画について述べる前提に、独身寮も集合住宅の一つだということを強調しておきたい。こう言うと、ごくあたりまえのことのようにも聞こえるが、ワンルームマンション問題なんかを見ていると実際は世間では独身寮を特殊な建築タイプだと見なしているような節がある。考えてみるに、これはそもそも世間が独身という状態を中途半端な状態と考えていることに因っている。すなわち、独身の身は親もとにいる時期と所帯を持つ時期の中間で、社会的にも半人前であり、なるべく早く解消すべき宙吊り状態と考えられているということである。その証拠に、公的な住宅資金でも、公共住宅でも独身者をちゃんと扱ってはいないし、建築計画学でも独居のための住まいのというものをそれほどきちんと扱ってきたわけでもない。ところが、現代の日本の社会では「独りで住む」という状態はそう特別な状態ではなくなってきている。一生非婚という場合を除いても、大学で下宿をし、就職して独身寮かアパート住まい、結婚して子供が生まれ、しばらくは家族とともに住んでも、やがて単身赴任があり、老いて伴侶に先立たれれば独居老人などということになる。独居生活ということ自体ごく日常的なありふれてかつ身近な生活形態であり、そのための住まいも当然集合住宅の重要な一つのタイプとして考えられなければならない。
空間の図式
さて、この二つの寮はいずれもYKK株式会社の社員寮である。昨年完成した「滑川寮」は富山県滑川市の田園地帯に建つもので、滑川のYKKアーキテクチュラルプロダクツ株式会社の滑川工場勤務者を視野に入れた男子寮であり、個室150室を備えている。一方、7年前に完成した「市川寮」は千葉県市川市の住宅地にあり秋葉原の本社への勤務者のための寮であり、これは男子独身用個室27室と世帯向け3戸という構成である。このように規模もプログラムも周辺状況も全く異なるのだが、今回の滑川寮を計画する際に、会社側もぼくたちも寮というものに対するプラニングや運営の考え方で市川寮とは全く違った方向を目指した。建築はぼくたち設計者が期待するほど、人々の生活を左右するものではないと思うが、しかし同時に、人々は建築が枠付けていることを超えて何かしようとしてもできるものでないこともまた確かなことである。ぼくたちの設計上の決定がある種の可能性を確実に排除していることは肝に銘ずべきであろう。そして、この空間と生活の関係は恐らく空間(領域)の図式のレベルで係わってくるような気がする。二つの寮を領域の図式のレベルで比較すると、市川寮は「兵舎型」とも「ホール型」ともいうべき、古典的な寮の領域構成をしている。ポイントは、全体の玄関があり、寮生は玄関の管理人の前を通らなければならないということである。一方滑川寮は「アパート型」とも「ストリート型」とも呼べる図式をもっており、寮生は管理人の前を通らなくても、直接自分の部屋に行くことができる。
「ホール型」の市川寮
「兵舎型」と呼ぶときは玄関での一元的管理に着目しているのであって、この意味で、修道院やオートロック付きの高級マンションも同類である。それは、社会的に見れば「大事な子女を会社がお預かりする」施設なのだから、門限も必要だし、外部の人間がみだり出入りしないよう管理人が目を光らせている。一方、「ホール型」とも呼んだのは、何
より建築家にとってはモダンリビングの図式の相似形として意識されるからである。そこでは、寮のラウンジや食堂は住宅の居間や食堂に例えられ、内部空間のハイライトとなり、家族の団欒に擬せられて寮生相互の良きコミュニケーションが夢想される。寮は一つの「大きな家」として寮生は同じ釜の飯を食べる兄弟として位置づけられ、社員相互の団結強化に一役かっているのである。市川寮の敷地の奥にある棟は(その裏の高さ約10mの崖の緑地を前面の道からかいま見えるよう透明性が与えられている)食堂と会議室などの共用部分に充てられている。この棟は位置によって全体を支配しているだけでなく2層分の天井高をもつ食堂やそれに接する屋根の付いた屋外テラスなど空間的な贅沢を尽くし、建築的な工夫とデザインのエネルギーを集中的に注ぎ込んでいる。共用部分の重視は、寮室の並ぶ中庭の西側の棟にも見られ、図書コーナーや休憩コーナーなどの為に廊下の外側に更にもう1スパンの余裕を取っている。この設計では、「個室を最小に絞り込み、その分共用部分を豊かにする」という方針を立てて設計に取り組んだことを記憶している。それは、空間の透明性と相互貫入という建築的テーマをダイナミックに展開することを可能にしているだけでなく、背後に寮生活の神髄は共同生活にありというある種のコミュニティ指向があったのだと思う。こうしたコミュニティ指向をベースにした共用部分の充実という設計目標は、ぼくだけが考えたというより、むしろ現代日本の建築家が集合住宅を考えるときほぼ疑うことなく設定してきた目標であって、ぼくもその影響下にあったというべきであろう。
「ストリート型」の滑川寮
しかし、そんなに共用部分は必要なのだろうか、という疑問も片方に沸いてくる。そもそも会社にしても学生にしても寮で居あわせるということは一種の偶然であり、お互いの
存在を最後まで知らない寮生がいても一向に構わないはずである。同じことは会社側も考えておられたようで、設計の依頼のときのプログラムは、管理人の前を通らなければならなない形式、つまりぼくたちの言う「兵舎型」は最近の若い社員から嫌われるのでアパート方式にしたい、というものであった。だから、この滑川寮では、寮生は管理人のいる中央の食堂棟に立ち寄らなくても、直接自分の部屋に行くことができるような動線構成になっている。共用施設(ここでは食堂、浴室の他、洗濯室、アスレチックルーム、屋外テラス、集会室(和室広間))は一箇所に固められず、廊下に沿って色々なところに配置されている。この廊下は中庭を囲む4棟のうち1棟を傾けることによって螺旋を形作ってひと繋がりの紐状の空間、つまり「道」になっている。だから食堂は、領域図式上は街路に面した町の食堂と変わらない(形態的には食堂棟はこの寮の中心に位置しているように見えるが接して配された森によって隠され位相的には別の次元に現象するよう図られている)。
図式を導く<リアリズム>
図式は乾いていて、不毛だという側面がある。生活の現実感が伴わなければ形式主義の元凶になる。だから、ぼくたちの設計では、即物的で体験的で皆で共感のできそうな事実
の発掘が設計の大きな作業項目となる。ぼくたちはこれを<リアリズム>と呼んでいる。市川寮のときに、ぼくが考えた<リアリズム>は、こんな具合である。すなわち、「夜帰ってきたとき、廊下灯だけがともるような侘しい廊下は嫌だ(部屋の明かりが漏れるような廊下にしたい)」、「朝の洗面室には自然光が入ってくるようにしたい」、「ワンルームとはいえ、一戸の住居である以上、人を招き入れるところが寝室といのは嫌だ。」、「廊下から部屋の中が丸見えは困る」などである。これが、廊下側に大きな掃き出し窓を設け、簾を下げ、そこから出入りするという形式が導き出され、開口を穿つために外壁側に置かれた水周りユニット(トイレ、洗面、シャワー)、ロフト型の断面構成が生まれた。同様なことはその後に手がけた家族向けの集合住宅の玄関まわりの計画でも行った。ここでは、スキップ着床形式の非廊下階の住戸の玄関の前に充分な広さの外部空間(ポーチ)を設けているが、その妥当性をぼくたちのブレーンストーミングで拾い出してみた(表参照)。ある種の生活行為ができる広さを確保することによってこれまでにもよくあった、単なるシンボルとしての門の付けられた入口周りとは根本的に異なってくることが分かって戴けると思う。図式はイディオロギーである。だから我々の発想方法にまで忍び込んでいるから、ぼくたちが何か新しいことをしようとしてもなかなか同音異曲を超えよることができない。もし本当に建築を革新する必要があるなら、一つの方法としては既成のプログラムのなかから背後にある図式を炙り出し、しかる後にその図式の上で思考実験をしてみる方法があるかも知れない。しかしぼくたち凡人には見たことのないものを絵に描くことはほとんど不可能だ。だから<リアリズム>を徹底的に追求する方法に可能性が出てくる。<リアリズム>の追求は恰好の悪い建築しか生まれないかもしれないが、それはむしろ歓迎すべきことかも知れない。恰好いいものなんて所詮既成の価値体系のなかに収まりきっているのだから。こう言ってしまうと、ぼくが書いてきたことも、例えば市川寮をコミニティー指向の結果と断罪してしまうのも観念のレベルでのことに過ぎないということが突き返されてくる。ぼくたちは、いずれきちんとした寮の利用者の聞き取り調査をしてみたいと考えている。










